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寂しいときも、その気持ちを抑え込んでいた私

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寂しいときも、その気持ちを抑え込んでいた私

寂しい気持ちの根っこ

物心ついた時から、ある気づきのきっかけをもらうまでの32年間、
私は「さみしい」と感じていることが多かった気がします。

寂しいという気持ちがどこから来るのか、
これまでの人生を振り返ってみました。

いつも1人で遊んでいた幼い頃

私には2つ下の弟がいますが、後天性の脳性麻痺で幼少期から一緒に住んだことがありません。
なので、家ではいつも一人で遊ぶことが当たり前でした。
長期の休みに弟が帰ってきても、母は弟につきっきりでしたし、
弟と遊ぶという事よりも、どちらかと言うと私も弟の面倒を見るような感じでした。

一人で遊ぶことと言っても限られていて、庭で絵を描いたり、
縄跳びしたり、石けりとかも一人でやってみたり。
意味もなく屋根の上をあるいてみたり、屋根から空を眺めてみたり。

確か、自転車の練習もひとりでやったっけ・・・

田舎に住んでいたので、田んぼに出かけて
レンゲソウやシロツメクサを摘んで花飾りを編むこと、
それから4つ葉のクローバー探しは天才的にうまかったです。
遠目から見て、「あっ!この辺にあるね」ってわかるんですよ。

4つ葉はエネルギーが密集しているところだと枚数が増えて、
一番多くついていたのは13枚とかなぁ。
5つ葉や6つ葉は、私の中ではもはやスタンダードでした。

ある時はよもぎを摘んで叩いて汁を絞り、薬として傷口に塗ってみたり。

あとは、意味もなく小川に足を入れて流れてくる水が肌に触れる感触を楽しんだり、
山を登ってみたり、海の干潮時に小魚を救って瓶に詰めたり、貝を採ってみたり。

自然と触れ合う事が楽しかったし心地よかった。
五感を使うのが楽しかったのかなぁ〜

夫婦喧嘩ばかりの不仲な両親

両親が喧嘩している時は
恐くて不安で、全身が震えて、
いつやめてくれるだろうか・・・

恐くて恐くて、大きな音がする度に
「どうしてこんな家に産まれたの?」
「どうして友達の家の両親は楽しそうなのに、うちは仲が悪いの?」
って思ってました。

仲裁に入れる年齢でもなく
布団の中で丸くなって耳を塞いでいました。

両親の夫婦喧嘩の後は
私はいつも母の聞き役でした。

私はいつも母から父の事を悪く聞いていたので、
父なんていなくなればいいと思っていたし
母を困らせる悪党くらいに思ってた。
本当、一緒にいるだけで敵を見る眼差しでみてました。

仲間はずれ

今ではびっくりされますが、幼い頃の私は極度の引っ込み思案だったんです。
母から聞いた話では、外へ出ればずっと泣いていたようです。

声を出すのが恐いから、いつも挨拶は会釈でした。

話しかけられるのは大丈夫だけど自分から話しかけるのは苦手。
だから友達ともじっくりと時間をかけて仲良くなる感じだった。

仲良くなると遠慮せずに発言していたと思うのだけど、
中学と高校の時に仲間外れに合い

人が何を考えているのか?

さっぱりわからなくなり、心の中も硬くなっていき、どんどん強がっていくようになりました。
仲間外れにされていることは、もちろん誰にも相談できなかった・・・。

高校の時の2回目の仲間外れの時は「あ、またはじまった」と感じた瞬間、
そこにいる仲間とわざとバラバラにはぐれて、一人で帰る選択をしたことを覚えています。

母親のうつ病と保健室通いの私

私生活では母親のうつ病が始まっていて
どこにも身の置き場所がなく、私はさみしいという感情を強さの鎧で囲っていたのだと思います。

「私は大丈夫」って呪文のように言い聞かせていました。

そんな不安定な日常でしたから、小、中学生の頃は保健室通い
毎日、胃が痛くなり、保健室に通う日々でした。

お医者さんからは神経性胃炎だろうって言われたけれど、
小学校の私はそれがどういう病気なのか、
わからないまま、母に伝えることもしなかった。

迷惑をかける、掛けたくない、
って思っていたから。

弟の事、父の事、嫁ぎ先でのこと、仕事のことで疲れている母の姿を
そばにいて、ひしひしと感じていたからだと思うのです。

こんなに頑張っている母にこれ以上
私の事で心配かけたくない
といつも思っていました。

そんな私の心の中は

「なんかつまらない」
「なんか悲しい」
「何でいつもひとりぼっちなの?」
「どうして、両親は仲が悪いの?」
「どうして、ご飯は1人で食べるの?」
「どうせ、私よりも弟の方が好きなんだ」

そんな思いの渦にいました。

診察券が増えていく

そしてね、鼻が悪くて耳鼻咽喉科にも通っていました。
その道中は母と2人で電車に乗って出掛けられる唯一の時間でした。

病院の帰りにいつも買ってくれた、あんこの入った大判焼き。
あまり会話をした記憶はないけれど、それが楽しみでした。

でもね、何故だか成長するにつれて、何故か診察券が増えていったんです。
そして高校生になる頃には一人で病院に行くようになる通いっぷりでした。

本当は母に一緒に病院についてきて欲しかった。

だって先生に説明を受けても、全部理解できているわけではないし大丈夫なの?
って疑問が沸きますよね~。

誰かに一緒に聞いていて欲しかったのです。
でも、その気持ちが伝えられなかった。

運動部だった私は腰痛がひどくて、整形外科にも週に2、3回は通ってました。
単に運動していたから痛いのだと思っていたのです。

でも、実は違ったのですよ・・・

続き >> 助けてほしいと言えない苦しい日々に身体の異変が次々と襲う

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